最近、ブログのアクセスを数字として追いかけることが、以前よりも気にならなくなってます。
個人的にですが。
「どう読まれたか」「どんな人に届いたか」のほうが、大事に感じるようになった感覚です。
アクセス数を見ると大したことがない手元サイトがあるのですが、そこからの引きが強いです。
「国際色」なんて書けば字面はいいですが、ほとんどの人に関係のないサービスとも言えます。
だから、なおさら
「広く読まれる必要はない」
という実感が、ようやく自分の中で腑に落ちるものです。
今も続く「マスに届く」=正義論
ブログもSNSも、YouTube も、
マスに届くかが大切でした。
「でした」と書きましたが、分野によっては「今も」です。
アクセス数は分かりやすい成果指標で、
増えれば嬉しいし、減れば少し不安になる。
これは、私も感じたことです。
ベンチマークにしている人よりもアクセスが多いと分かったときは一定の達成感がありました。
でも、だからといって、達成によってなにか変わるというわけでなかったです。
それは、
「広げれば何かが起きる時代」の論理だったのです。
この議論は、すぐに収束するわけではなく、正解は人によってさまざまです。
ただ、こういったところになにかしら回答ができることが、これからの時代に必要な判断軸になるはずだと考えています。
エコーチャンバーのネット=深く狭く
20年くらい前の時期は、インターネットで提供される情報が限られていて
その中の人気投票で、多くにアクセスしてもらう価値があったのは、当然です。
そこから発展し、情報量が爆発し、検索とSNSの仕組みが変わったことで、
大量アクセスの重要性は以前ほど大きくない価値観もでてきています。
むしろ、
- 必要な人に届く
- 共通言語がある人にだけ響く
- 理解されるために書く
という、深さのほうが価値として立ち上がってきています。
国際税務や海外在住者の相談のような領域では、
「マスアクセスが要らない」どころか、
1人でも“本気で必要とする読者”に届けば十分だという感覚を得ることが多いです。
アクセスが1でも、
その1が濃ければ、それは大きな意味になります。
深く狭く届くと、仕事の質も変わる
実際、お問い合わせやメールから来る相談の多くは、
- 自分が書いた細かい文章をじっくり読んだ人
- 同じ経験や背景を持っている人
- 自分の思考に共感した人
そんな、事前準備をしていただいた方からいただけるものが多いです。
この感覚値は、つかみにくいです。
最初は、濃さというものがよく分からず、似たような意見を読んでも、
「結局、数が一番重要でしょ?」という感覚はありました。
見慣れないことでも自信を持って発信してみる
何が濃さか、方向性が分からないとき、アクセス数に頼ることになります。
そこから、どうにか抜け出すと、数に頼らなくても、なんとなく自信を持って伝えられるようになってきます。
そういうところがどこかにある、探してみるという姿勢が大切です。
それまで、まずは続ける必要があります。
今の自分の仕事にも、生活にも、ちょうどいいものを目指して、取り組んでみます。
【編集後記】
事前準備ですが、租税教室の用意と事後処理を。
近々、よくある型以外の租税教室のやり方のセミナーの開催を考えています。
