AI時代に残るキュレーションは、『オレじゃなきゃ見落としちゃうね』である

特別な選定本

AI時代に価値が残るキュレーションとは、情報をきれいに並べることではなく、自分の好き・違和感・経験を通して、「他の人なら見落とすもの」を拾い上げることです。

情報を大量に扱える時代だからこそ、取捨選択の重要性は高まっています。
何でも並べる、たくさん並べることに価値があった時代の先に、何が残るのかを考えます。

もくじ

情報を並べるキュレーションの価値は下がった

昔は、情報を集めて整理するだけでも価値がありました。
初期のポータルサイトやディレクトリ型検索も、情報を分類して整理して見せるものでした。

しかし、今は、検索、SNS、AI、レコメンドで、情報そのものは、簡単に手に入り、大量に並べられるものになりました。
だから「便利なリンク集」や「それっぽいまとめ」だけでは価値が出にくくなっています。

キュレーションに価値が残る理由

価値が落ちたのは、情報を並べるだけのキュレーションだと考えます。
価値が残るのは、その人の関心・経験・違和感・好き嫌いを通ったキュレーション。

つまり、

何を拾ったかより、なぜそれを拾ったのか。

という取捨選択です。

美術展の企画やタイトルも、単に作品を並べるだけではありません。
どの作品を、どの順番で、どんな文脈に置くかによって、同じ作品でも見え方が変わります。
キュレーションの価値は、まさにこの「文脈の置き方」にあります。

「オレじゃなきゃ見落としちゃうね」の意味

好きだからこそ付け加えてしまうものや、一見関係のないもの同士に関連性を見つけることに、意味が出てくる可能性があります。
といっても、それを言語化すると、すぐに真似されてしまうのが、次に悩ましいところですが。

AIには、自分がどこで引っかかったか、何を見てきたか、何にしつこく関心を持ってきたかという身体感覚はありません。

他の人にはノイズに見えるものが、自分には意味のある手がかりに見える。

ということです。
自分なりの分類ともいえます。

例えば、図書館では、一冊の本は一つの棚に置かれます。
哲学の棚か、文学の棚か、ビジネスの棚か。
けれど、自分にとっての本の分類は、それとは違うことがあります。
ある哲学書が、仕事の本になることもあります。ある物語が、子どもの教育を考える本になることもあります。

キュレーションとは、情報を正しい棚に並べることではなく、自分の中にある棚に置き直すことなのかもしれません。

自分の興味、関心が心地よい偏りになっていきます。
後は、それをきちんと前面に置くかというところもありますが。

答えがないものに立ち向かう

AIは答えがあるものには強いです。
言語化された時点で、答えに近いものになり、模倣されやすくなります。

問題化されれば、答えがセットで出てきます。
だから、価値がすぐに陳腐化してしまう。

でも、何を問題にするか、どこに違和感を持つか、何を面白いと思うかは、人によって違います。
その連なりを持って、私のキュレーションとして価値を感じてもらうのが一つの方法です。
だから、答えのない領域では、自分の「好き」や「引っかかり」が判断軸になっていきます。

あるいは経験として、相談を受けている上で一緒に解決した経験がスパイスになっていくとも言えます。

税務の相談でも、条文や制度の説明だけならAIでもかなりできます。
けれど、実際にどこで人が迷うのか、どの言葉で誤解するのか、
どの順番で説明すれば納得しやすいのかは、相談を受ける中でしか見えてこない部分があります。

相手を想像し、自分の経験や違和感を通して情報を置き直すこと。
そこに、AI時代に残るキュレーションの価値がありそうです。

【今日の余白】
自分で作る、やってみることで、経験になったり新しいヒントになったりします。
子どもと、単語帳を作ってみて、やってみるという価値を再認識します。

こちらも、早めに形にしていきたいです。

もくじ