足りないものを見つけるよりも、自己肯定感をしっかり持とう

厳島神社

足りないものを見つけるよりも、
自己肯定感をしっかりと持ちましょう。

「持つ」というのは一瞬持つのではなく、
保持する意味で使ってほしいです。

理由もなくとても肯定的な人に
たくさん会う人も多くないのではないでしょうか。

日本人の気質はとても自省的で
一般に、自己肯定感が低いと分析されます。

厳島神社

*厳島神社にて

もくじ

倫理とEthics

倫理は、明治期にEthicsの訳語としてあてがわれましたが、
集団の中の規範の意図とは反して、
Ethicsは絶対者との対峙としての意味合いが強いです。

語彙は後述しますが、
日本人は集団の中での規範の意図の
倫理が強いため、それは今回の話、
自己肯定感は集団によって作られている
ことが多いのではないでしょうか。

倫理が人の規範というのは、横山さんの論文の
2ページ目から引用させていただきます。

白川静博士の『字解』によれば、「倫」は 「侖が輪のようにひとつながりになったもの」であり「つ ながりのある人間同士を倫といい、なかま、ともがら、 たぐいの意味に用い、人倫のようにみちの意味にも用い る」とあり、「理」は「玉を磨きあげて、玉の表面のすじをあ らわすことを理といい、おさめる、みがく、ただすの意 味となる」とある。すなわち、「倫」とは無関係ではない人間集団並びにその集団の秩序形成に有益な道徳であり、「理」とはなにか対象となる物事について理解し(お さめる)労力をかけて(みがく)よりよきものにしてい く(ただす)ことである。

Ethicsが個人と絶対者の話であるのは、
Ethicsがモラルなど、ある道徳原理と理解すれば、
その前提にあるのは、西洋的(キリスト教的な)
前提が存在します。

つまりは、絶対者の前に一人たたずむ人の存在です。

ここで伝えたいのは、
Ethicsの考え方で評価すれば
自分の価値観は誰かにゆらぎを
もらうものではないということです。

自己評価は誰がするのか

日本人の自己肯定感が低い理由は
自己評価は自己の評価ではなく、
その集団の他人の評価であることが
多いことが理由ではないでしょうか。

自己評価とは当然自分がする評価です。

しかし、本当に自分の評価なのかは
一度立ち止まって見直してみるのも
いいかもしれません。

特に創造的価値を作るための理論においては
他の人と違う道を歩んでいく必要性があります。

その際に、モノサシが自分の中にないと
結局誰かの下に迎合する動きしか
取れなくなってしまう。
創造的な行動から外れてしまいがちです。

自己評価を自己に由らせる大切さは、
ここにあります。

やおよろずでも心を洗う方法を

別に宗教的な内容をここで示したいわけではありません。
他人を基軸に評価をしていることが悪いわけではないのです。

言いたいことは、評価の源泉がどこにあって、
何によって自分が落ち込んでいるかを
明らかにしておくことです。

そして、何かにつまずいていたら早めに立ち直って
心をキレイにしましょう。

神社仏閣でのお祈りは心をキレイにするのに
案外と有効です。

遠出ができないときは近場で済ましても
許してくれる寛容な神さまもたくさんおります。

少し気持ちがにごったら、
早めに休んでキレイにしておきましょう。

【編集後記】
たまった提出物を出して次の課題に移ります。
改めて自分はそこまでできないなと感じますが、
記事の通り、どこかいいところを見つけて
自己肯定して進むようにします。

【運動記録】
ジョギングO ストレッチO 筋トレO サプリO

【昨日のはじめて】
新しいお絵かき帳

【昨日の子育日記】
あげたお絵かき帳がいっぱいになったので、
新しいのをあげました。

最初のに比べて、書くわ書くわ。
なんの迷いもなく筆が進みます。

子どもの想像力がどこに働いているのか
楽しく観てます。たまにはみ出たのところを
掃除しながら。。

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