お互いが気持ちも含めて完全にわかり合うまで話し合わなければ結論がでないと考えるやり方があります。
一方で、完全にわかり合うことまで行うことは不可能と理解し、論点や歩み寄れる部分のすり合わせを中心に行う考え方があります。

前者は同意形成と呼ばれ、結論に至る前提や過程にも同意がいると考えます。
校舎は合意形成と呼ばれ、必要な論点に対してお互いの意見をすり合わせる方法です。

使われる場所や目的が異なる方法ですから優劣があるとは考えません。
でも、同意形成を求めて、しきりに勝手に意見を述べようとする方にお会いして、同意形成だけがその方にとって唯一わかり合うと感じる手段なんだなと感じました。

達成すれば気持ちいいのでしょうが、同意形成とはとても難しいし時間がかかります。
上下関係もない相手どうしでそこまで注力して達成できるものではないでしょう。

逆に、こちらも同意形成がほしいのか合意形成がほしいのか、分けるべきです。
労力が多くかかる同意形成が必要な場面かを分別することで、結論にたどり着く時間を短くできます。

 

*完全に重なるまで追い求める様子。でも、そこまでは行き着けない

 

学校では同意形成が主と教える

「気持ちも含めてお互いが納得するように」と考える同意形成を一義的に求めるのは、学校の呪縛だと考えます。

「相手の気持ちになって考えましょう」といった道徳から派生したようなやり方が、気持ちの同調を求めることを是とするのでしょう。
このやり方自体を否定するつもりはないです。

でも、気持ちの同調までできるのは学校のように、同じ教育や環境がそろった人の集まりだからです。
同じ学力として選抜をしていれば、同調整はさらに高まります。

同調性が低い集団であるのが本来です。
そんな集団では、そもそも同意形成が不可能な場合があります。
仮に可能としても、かなりの時間を割く必要があり、現実的ではないです。

 

同意形成ができる場面は減っていく

学校のような同調的な集団では同意形成が可能ですが、社会に出ればそういった場面は減ります。

同じようなバックグラウンドを持っている人には、社会に出れば会いにくくなります。
幸運にも同じような考えの方が多い集団であれば、同意形成が可能かもしれません。
あるいは、同調圧力が強い組織であれば同様に可能です。

でも、いろいろな人と関わりを持つ場面があれば、やはり同意形成は難しいです。

仮にある集団で同意形成ができても、その集団がその集団以外の人を含めて同意形成をしようとすれば、うまくいきません。

それほどに同調圧力が強い集団であれば、それ以外とは同調しにくいでしょうし。

 

同意形成なのか合意形成なのか分けよう

同意形成がスタンダードと学校で教わり、これを使いたい人は多いです。
習ったやり方を通したい気持ちもあるでしょう。
うまくいけば気持ちの同調があるので、満足感も高いです。

でも、これは考え方が同じような集団で成功しても、それ以外ではうまく行きにくいです。
また、気持ちの押し付け合いになれば、同調しない人にとってみれば、単なる気持ちの押し付けが続いているだけと感じるでしょう。

こういうときには、すり合わせる目的をはっきりさせた合意形成が適しています。

実施する場合にも、実施される場合にも、同意形成が適した場面なのか合意形成が適した場面なのか分けるだけで、相手とズレている場所がわかることがあります。
気になる方は、場面を見て、同意形成を意識してみるといいです。