「〇〇はこうだよね」と一般化する難しさは、離れたグループに属している人が話すときに多く感じます。

一般化の違いが少なければ、似たグループに属している

 

一般化の難しさ

個人差や趣向の違い、個性を大切にする世の中になってきていると感じるところがあります。
個人の自由を尊重する流れですね。

これでよいですが、知るほどに一般化して話すことは難しくなってきます。

「男性とは」「女性とは」「30代だと」「40代だと」など、型にはめた言い方があります。
今の世の中では嫌われる言葉になっている様相がありますし、当てはまりにくいでしょう。

また、仮に言えたとしても、それが例えば「男性」の特徴なのか、「50代の男性」の特徴なのか、あるいは、年齢ではなくて、経済的な階層の傾向なのか、その区分けは難しいです。

そして、ある人が経験したことから一般化した内容が他の人にも当てはまる、または共感されるかは別問題です。

一般化されない例として

私の経験でも一般化されないだろうなと考えるものから挙げてみると、子育て中に公共の場所で20代や60代の女性の冷たくされたことがあります。

もちろん優しくしてくれる方もいますし、無関心な方もいます。
でも、子連れでいて、こちらを見ているにも関わらず見ていなくて冷たくしてくる20代。
ベビーカーを持ち歩いて立っていると電車で邪険にしてくる60代に出会いました。

別にその方たちに対して何かを思ったりはしません。
ただ、無関心に関わってこない男性群と比較すれば、ここの年代は冷たいなぁと一般化してそのときは認識していました。

荷物や子どもで重さでしんどくても、男性は平気と判断されている節も感じます。
声高にはいいませんが、補助してもらっているところと比較して、取り残されているグループです。

助力が必要なグループとアピールしたいわけでなく、あるグループが何かを必要とすることを見つけ出すというのは、社会にとって意外と難しいことの実体験でもあります。

さて、子育てに関して、特定の年齢の女性に冷たくされた経験をもって、それら年齢の女性らが「ひどい」と一般化できるでしょうか。
ちょっと違う気もします。

わかりやすい例なので、「ちょっと違う」ではなく「明らかに違う」と断定する方もいるかもしれません。

でも、このような少い体験から一般化をして結論を導き出している例というのは、多いものです。
サンプルが少ないので統計的に間違っていると指摘するでしょう。

 

個別体験から離れたら正というわけでもなく

さりとて、個別の体験の重みを無視するべきという主張を、簡単に容認するものでもありません。

心の動きや判断の過程など、それらの平均と取るということが意味をなさないという議論は20世紀前半からありました。
ちょうど、社会学が哲学から分離するあたりの議論です。

記述的に個別の事案を理解することで、事例や対象の内容をしっかりと理解できるといえるでしょう。

一般化する上での難しさ

統計的にはサンプル対象に偏りがないかという点を実現できるかの難しさがあります。
統計的にきちんと処理ができて、平均がわかったとしても、それが意味をなしているかというのが2つ目の難しさです。

一般化や平均だけではないのでしょうが、共感を得るためにうまくこれらをかいくぐって一般化を試みたいものです。

【編集後記】
とある点検の立ち会い。緊急事態宣言がない時期なので、今、必死に回っている監査関連の方は多そうですね。

【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○

【子育て日記(4歳・0歳)】
帰ってきたら、上着を脱がしてくれました。
よくよく考えると、僕が子どもにしていることをしてくれているのかなと。

とりあえず、されるがままにされ、二人で笑っていました。