論文指導における悪気は半分にして感じよう

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論文を書いていて指導教員に悩まされる人の話を聞きます。
指導教員の年齢にもよりますが、年齢が高い指導教員であるほどにそのキツさを目の当たりにします。

大学に在籍しているときには
「こんなものか」という程度です。

でも、社会人になって体験したり聞いたりすると、今その指導を社会人になって属している組織でやったら、悪い感情を持たれるだろうなと。

だからといって、指導教員が意図的に気持ちをないがしろにした指導をしているわけでもなさそうです。

アカデミック界隈のスタンダードな指導が、冷たかったり悪気を感じる様相という可能性があります。

だから、今論文を書いている人に対して、
「指摘は倍に、悪気は半分にして聞くといいですよ」
と伝えたいです。

悪気がないという理由を5つあげて考えてみます。

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*たまたまなのか、意図的な悪気なのか

 

 

もくじ

教員自身がそうされてきたから

一番疑わしいのは、教員自身が悪気のある「ような」指導を受けてきたのではないかということです。
「ような」というしているのは、実際に悪気があるわけではない意図としてつけています。

人によれば、批判的姿勢で見ている結果であると。

人によれば、内容の批判であり、人格の批判ではないと。

そういった指導をされてきて、そして山に登りきって論文を書ききった後に、これらの指導がよかったと感じることがあったからこそ、悪気のある「ような」指導が続いているのかなと。

山に登りきっていない受け手にとって、本当にベストな指導なのかは疑問に感じるところもありますが。

 

論文を書くことが専門性の塊であるから

専門性の塊というのは、あうんの呼吸が発生します。
イメージは、「親方と弟子」です。

あまり語らなくても通じ合うし、親方は弟子に対して気を使っていない様子を想像しやすいです。
伝統芸能であったり身体を使うしごとであったり、例示に困りません。

論文を書くのは、身体をそこまで使いませんが、専門性が高くこれらのしごとにとても似ています。

学問の世界は、想像以上に親方と弟子が発生しやすい環境にあり、そのせいで悪気があるようなコメントも散見されるのかなと。

 

自分で考えさせようという姿勢から

突き放す姿勢は、考えさせたいというものの裏返しの場合があります。

先日のシン・エヴァンゲリオン劇場版:||の庵野監督の制作姿勢においてがいい例です。

スタッフに、その絵のいい悪いを一切言わず、その評価のみならず、判断すら保留していました。
理由はなく「いったん保留しよう」と。

決めてしまえば、庵野監督の想像の範囲に収まってしまう。
想像を超えるものを作りたいからこそ、手を加えない姿勢を貫く。

結果として、見方によっては悪気のあるような態度に映ります。

論文を書く際の指導教員の姿勢においても、同様です。

あまり言い過ぎれば、生徒が書く内容の方向性や結論まで、決まりきったものになってしまいます。
指導教員の想像の範ちゅうにおさまる作品が量産されます。

てにをはを学ぶ論文と割り切ってもらえばそうなりますが、学部・博士前期・博士後期の段階にかかわらず、論文の質を上げさせたいと考えれば、極力タッチしない姿勢が生まれることも。

だからこその悪気のあるような態度が見られる可能性があります。

 

ひょう窃・盗作に対する防御から

スタップ細胞事件以降、大学ではひょう窃・盗作に当たらないように厳しく評価をするようになりました。
プレ・スタップと、ポスト・スタップでは、仕上げるべき論文の質が変化している可能性があります。

著者が一番の責任者ですが、二次的には指導教員にも責任が出てきます。
何かしらの甘えを持って論文を書いていては、生徒も指導教員も望まない結果に陥る可能性が出てきます。

これらへの防御として、その指導態度に悪気があるように感じるかもしれません。

 

指導に刺激がなかったり、嫌な想いをしてきたから

生徒側ががんばって考えても、指導教員側に新鮮味を得られる内容がなかったり、今までがんばって指導してきた生徒から逆に悪気があるようなことをされて、指導教員の心が疲れている場合があります。

いかんともしがたいところです。

今のあなた(生徒)に罪はないでしょうが、指導教員が過去の嫌な経験を持っていることは容易に想像できます。

汲んで接しろとは言いません。
逆に、必要なところは聞き、悪気には鈍感になることで対処したいです。

 

まとめとして

こういった内容とは違う、もっといい教員だという批判もあるでしょう。
その場合は、実際にいい指導教員にめぐり会えています。
その方を大切にして、そして高みを目指して書きましょう。

論文校正などをしていると、なかなかにしんらつな方もみかけます。

そのときに、自信を失っている依頼者の方にやわらかくできていることを伝えるようにしています。
できていることを指摘してくれない指導教員もいますので。

でも、指導教員側にもそうなっている理由があります。
論文の作成が共同作業であるという認識に立てば、相互理解が大切です。

完全にわかり合う必要はありません。
論文を書いている方は、指導教員と少しだけわかりあって、完成という最低限の目標だけを達成するように、がんばっていきましょう。

 

【編集後記】
自分の範囲で変えられないものは、適度に切り分けて考えるといいですね。
同じ人に同じことを何回もされる経験って、意外に多いです。

 

もくじ