インドの孤児院を訪ねて|善意を与えるのか、相手を乞食にするのか

落ちそうな岩

旅行中にインドで孤児院を訪ねました。インドを見て回るんだという気持ちでいたので、色々な所に行くつもりでした。

そこの孤児院は、勝手に急に見に行ったにも関わらずとても丁寧な応対。

あとで気がつくとこれは良くある決められたルートで、寄付をさせるためのものだったようです。目の前には金銭的に裕福でない子がいます。ただ、単純に物を買って与えることが良いことかどうか、とても迷いました。

 

落ちそうな岩

*インドの絶妙なバランスで落ちない岩

 

もくじ

孤児院を訪ねて

孤児院を見に行くのは予定してないことでした。地図を見るとそこに孤児院があったので不意に訪ねてみた感じです。

孤児院は急に訪ねていったにも関わらずとても丁寧に対応してくれました。決まっていたかのように各部屋を見せてくれたり孤児を紹介してくれたり。

どの子もそれほど深刻そうな感じは受けませんでしたが、園長先生はなんとなく細身の、少し一癖ありそうな間をもってこちらに説明を続けます。

 

園長室で寄付を求められる

全体の案内が終わってからは園長室へ。園長室で気がつくと、私に寄付の話をしました。

学生時分でしたし、雰囲気にのまれる感じです。何か持っているものを全部取られるのかとも感じました。手元にそれほどのお金をもっているわけでもなく、一食100−200円程度でやりくりしている日々でした。

クレジットカードも持っていない状態です。ただ、使わない万が一のお金を忍ばせてはいました。

考えた末にその場はなんとか退席をして外に。

外に出ると、ドイツ航空のパイロットが二人寄付をした帰りに孤児たちとコミュニケーションをとっていました。

 

 

それとは別に持っている(少額でしたが)お金全て使って靴やら鞄やらを買いました。買ったのですが、買わされていた感じも。

施しとbeggerの境

その場は、寄付せずに過ぎたものの、何もせずにその場を離れる気にもなりません。

その後、一番懐いてくれた子と手をつないで街に出ました(インドは仲がいいと同性で手をつないできます。前の場所では、ヒゲもじゃの学生数人に手をつながれたまま交通の多い信号を渡りました)。

 

その子はなぜかすぐに靴屋に私を連れて行きました。ボロボロのサンダルを履いていたのです。買ってあげたのか買わされたのかはっきりはしませんでしたが、靴を買ってあげました。

次は文具。などというように何軒か回りました。

 

自分のお金を使ってあげることへの抵抗感はなかったのですが、この子はこうやって人に乞うて物を得ることに慣れている様子。

この環境で生きていくのに必要な能力でしょう。だから、否定できるものではありません。でも、このままでいいのかとも悩みました。

 

与えることがいいことなのかわからないまま

帰ってホテルの支配人のインド人の人と相談をしました。何かをあげた方がいいかとか。

そのホテルは孤児院からとても近かったのですが、特に孤児が珍しくもないのでしょう。あまり何も感じないようなコメントです。

ただ、何かを買うので相談をしたいと伝えるとアイディアを出してくれました。相談の結果、子ども達が使えるリュックを買えるだけ買うことにしました。

 

大した手持ちがあったわけでもなく十数個程度の購入です。ホテルのインドの人には、「それだけ?」のような顔もされましたが、この場でできうる最大の行為でした。

 

与えることがいいことなのか

最善の何かをしたつもりですが、単純に与えることがいいことなのか。そういった疑問をくれる出来事でした。

善かれと考えて相手に好意を渡しているのか。相手を乞食にしてしまっているのか。その場で生きていく現実とバランスを眺めながら、与えることの難しさを感じました。

 

【編集後記】
あの頃あった子どもももうだいぶ大きくなっているでしょうか。

【昨日のはじめて】
とある講義

【子どもと昨日】
保育園二日目。少し慣れない様子はあるものの、気分転換で園庭でバギーに乗せてもらうと周りを楽しそうにキョロキョロ。室内に入るとそのまますっと寝てくれました。案外慣れるのが早いかもしれません。

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