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場の制御に責任を持つこととワークショップの瞬発的判断

ワークショップでは瞬発的な判断が求められます。瞬発的な判断で注意してほしい点は、参加者の様子です。参加者が新しい答えを出すために苦しんでいるのか。単純に苦しんでいるのか。この判断はとても悩ましいです。

苦しみを整理しながら、瞬発的な判断の大切さを考えます。

ボール遊び

*ボール遊び by iPhone X

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ワークショップでの産みの苦しみ

ワークショップでは、よく産みの苦しみが生じます。

なぜ生じるかというと、最初に意見の共有において相手と違う意見を言わないといけない状況にかかるからです。また、意見を言ったとしても、それをまとめて収束させる際にまた議論が生じるためです。

ファシリテーターとしては心苦しいですが、この苦しみは放っておく苦しみです。

最終のまとめや意見をまとめる際には、悩んだ点などとして拾い上げて振り返りをしてあげるととても良いですが、すぐに手を差し伸べてしまうと意見の熟成を妨げる結果になります。

 

それ以前の活性度

ワークショップでは苦しみが伴うとありますが、もちろん単に苦しいだけの内容が良いわけではありません。苦しいのは必要条件であって、十分条件ではないんです。

ワークショップ的な苦しみに至る前に苦しいという状況も発生します。

その苦しみは、ワークショップを始める以前の活性度に原因を求めることもできます。

 

いわゆる場(雰囲気・人の構成・プログラムの進め方など)の作り方が原因になっているものです。また、単純に参加者それぞれの精神状態がたまたまマッチしないときもあります。例えば体調が優れない、気分が優れない、などです。

体調の問題であれば、すぐさまその場を離れてもいいという逃げ道は、ワークショップにおいてファシリテーターは参加者に与えておくことが大切でしょう。気持ちをぶつけ合う内容を続ければ、参加者はワークショップという言葉を嫌いになり、二度とそのような会には参加しないようになってしまいます。

瞬発的な判断を

二つの苦しみは、言葉では明確であっても現場で見ると判断がつきにくいです。

実際に私も参加者としてワークショップに加わってみた際に、活性度の苦しみを産みの苦しみとみなされてファシリテーターに放置されたことがあります。

大変辛い経験でした。こういった想いを参加者に味合わせないような工夫と観察力を自分は身につけないといけないと肝に命じた経験です。

後で、「気がついてはいたが様子を見ていた」という弁明をした方もいました。しかし、実際に気がつけば免責になるわけではありません。私も役立つ経験をしたと考えるようにしていますが、辛いとその場で感じました。責任逃れのような言葉に、「何を言っているんだ」とも感じました。

 

ただ、仮にファシリテーターの立場から見れば、判断を行動にすぐに結びつける瞬発的な判断に変えるのはとても難しいことです。

「その場を単に制御しなければならない」義務感だけでなく、「その場の参加者の生殺与奪権を持っているという責任感を感じた上で制御する」という心構えが必要なのです。

 

 

【編集後記】
建築現場に行きました。そこの親方の息子さんは高校1年生ですがすでに現場にきているそうです。すでに将来大工さんになりたいと言っていました。実務を貪欲に学ぶ気持ちを改めて感じました。

【昨日のはじめて】
紅葉堂 もみじまんじゅう

【子どもと昨日】
ペットボトルで作った砂時計のようなおもちゃ。今までは私がひっくり返してましたが、自分でひっくり返せるようになりました。水平に置いたときの中身の移動も興味を持って見ていてくれていたからできるようになったのかなと。