情報は多い方が丁寧です。
まとめる、つくっているとそう感じます。

でも、「Aについて調べてね」と
お願いされたときに、

「A2やA3という場合もありますね」と言う回答を
どこまで求めるでしょう。

むしろ、そういった回答を求めている人は、
当初のAについて私に質問をしてこないのではないかと。

ここから、気づく・変わるのに十分な量の情報であれば
「それがいい」ということを感じましたので、
まとめてみます。

 

*芸術品が複雑さを削ぎ落とす例

 

網羅性の誘惑

何かを網羅的にまとめたいというのは、
どこかしらから湧いてくる欲求です。

可能性をすべて考慮したい。

事務系の仕事であれば抜けもれや
見落としがあるとそれも困るので、
「全部見ましたよ」というように
網羅的な対応が好まれます。

会計的にも「網羅性」というのは
キーワードであがってきます。

頭の片隅に残るもので、
潜在的に網羅性が必要なんだと
意識させられます。

このように、実務の必要性に応じてや、
あるいは学問的な要求などから
網羅的に処理する方向に動きがちになります。

 

処理能力の限界と栄養素

しかし、多ければいいというのは違うのは
食べ物を考えればイメージしやすいです。

たくさん食べれば、それに比例して体力が戻るのか、
成長するのかといえば、限界があるでしょう。

アニメやら漫画やらで比喩的に、ケガの後に
フードファイトのごとくたくさん食べていることに
違和感がなかったのですが、現実で考えれば変ですよね。

そんなにたくさん食べられませんし、
胃や腸が動くのにも限界があります。

そもそもそんなに収容ができないです。
消化しきれずに排泄してしまうかもしれません。

食べすぎで寝込んでしまうかもしれません。

と考えれば、消化能力に限界があるのは
想像が簡単です。

 

これと同様に、情報処理を行って
頭にや身体に染み込ませられるとしても
限度があります。

とても優秀な人であればともかく、
中程度であれば、理解や馴染むまでに
時間が必要でしょう。

事務処理について、専門の部隊の人に教えたり、
門外漢の方に説明したりすると、
混乱しますし、傍論はいいので
スッキリと一例を理解させるように説明するべきだと
改めて感じます。

多いよりも、必要最低限で伝わるように
情報を厳選する場なんだと意識します。

だから、単に多いよりも、
理解する上で十分なほどに少ないことが
ここでは大切なのです。

 

気づきが起きる程度に少ない情報を

単に少なければいいのではないですが、
気づく程度の量があれば、できる限り少ない情報でもいいです。

情報量が多そうであれば、機会を分けて
説明することも有用です。

できるようになってから、次へ進んで、
ひとつひとつの定着をしっかり行うようにします。

「どんな相手にどのような気づきをもたらしたいか」
結局ここに戻ってきます。

たくさん伝えることが必ずしも優先されません。
情報量をたくさん伝えるだけのものであれば、
良書がありますし、上手な方がいらっしゃいます。

目指すべきは、そういった良書や説明上手な方が
成し遂げられない、気づき、つまり行動を
変えるような何かを提示できるか、です。

 

最近行っている教育において意識している点です。

教育職についていなくても、
組織内だったり顧客に対しても教育をする場面はあります。

何かを教える際、または、学ぶ際の
参考になればうれしいです。

 

【編集後記】
税法の修士論文執筆における「新規性」「独創性」向上セミナーの
ご反響をいただいているので、開催を決定いたしました。

正式な告知などは順次行いますが、
8月7日(土)に実施するつもりです。

 

【運動記録】
ストレッチ○ 筋トレ○

【子育て日記(4歳・0歳)】
上の子と、水遊びです。
家で小さな噴水を出せるキッドを買っていて、
それで楽しみました。

特に大きな変化がある製品ではないので、
「どこ辺りが面白いんかな?」と
考えていましたが、子どもはそんなことお構いなく
めっちゃはしゃいでいました。

子どもと夏の水遊びは鉄板ですね。