行動に意味を感じられないとやる気減退、シーシュポスの神話と囚人の穴掘り刑罰から

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自分の行動に意味を求めたいというのは人の求めるところでしょう。そんなことは当たり前といいながらも、意味を決めるのも自分です。

誰かに与えられた意味ではなく自分が決めた意味を見いだすことが続ける意味になります。

希望を見出せないことが継続の敵だということを神話から考えます。

壁

*壁の模様を見ながら by iPhone X

シーシュポスの神話

概要はWikipediaから見てみましょう。

神を欺いたことで、シーシュポスは神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けた。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないのだった。

いくら運んでも結果にたどり着けない。その永劫の繰り返しの刑です。

囚人の穴掘り刑罰

ドイツに戦中にあったとされる刑罰です。

イメージとしては、

  • 一周目に四角い檻の中で四角に右回りに穴を掘らせる。
  • 二周目に掘った穴を埋め戻させる。
  • 三周目にまた穴を掘らせる
  • 四周目以降 繰り返し

シーシュポスにヒントを得ているのか。

結局、自分の行動の意味を見出せなくなることがこの刑罰の目的です。

自分でシーシュポスの神話や穴掘り刑罰に陥らないように

シーシュポスの神話を聞いても、囚人の穴掘り刑罰を聞いても、希望が奪われることが刑罰です。

仕事で考えれば、労働や行動の対価として金銭以外の意味を全く得られないときの希望の奪われ方に似ています。

実際に役に立っているかは、客観性も必要です。

問題なのは、意味の定義は客観ではなく主観に因るところということ。

このような神話や刑罰のような状況に自分を陥れないようにすることが大切です。

モチベーションを保つために、立ち止まったときには改めて「自分にとっての」意味づけを見直してみてはどうでしょうか。

【編集後記】
誰の役にも立っていない仕事は、やる気がなくなりますよね。実際には、誰の役にも立っていないと(自分が定義する)仕事。仕事を変えるか、定義を変えるか。両方か、渦中の場合は、悩ましいところです。

【昨日のはじめて】
シチリアレモンドーナツ

【子どもと昨日】
暑さで食欲が下がっていますが、遊び欲の方は相変わらずです。

食べない程度をみながら、お風呂で石鹸遊びをしました。手洗いを理解しているので、石鹸で手をこすり合せるのも腑に落ちるようです。少しでも涼やかな夜になりますように。

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